夢の中で、ハテナは名探偵になっていた。
 いつもの不確定で幽霊のような体ではなく、両手両足がそろった人間らしい体だった。しかし、肌は黒のまま。シルエットが、シャーロック・ホームズの服を着ているような姿で、ハテナは夢のストーリーに順じて行動していた。ちゃんとパイプも、くわえていた。けれど、元軍医の助手はいなかった。
 立派な屋敷の大階段を、探偵ハテナは、虫眼鏡でのぞきながら、歩いている。赤い絨毯のうえには、泥の足跡。屋敷の主人の頭を、ランプでかち割った犯人が、逃亡した痕跡であった。
 ハテナは、レンズ越しの足跡を、注意深く観察しながら、階段を降りていく。前かがみになり、パイプをふかしながら、一歩一歩、黒い皮靴が、赤い絨毯を踏みしめる。と、階段が一段分、抜け落ちた。赤い階段の真ん中に、黒い溝。ちょうど、そこに足を乗せようとしたハテナは、がくんとバランスを崩し、細い穴に落ちそうになった。その反動で、ハテナは目が覚めた。


 深夜2時。突然の衝撃におどろいたハテナは、寝覚めの余韻をあじわう余裕もなく、ベッドの上で、呆然と天井を見つめていた。呼吸を3回してから、ハテナは毛布を持ち上げ、中を覗きこむ。両足はなく、階段もない。水面に映った尾のような下半身を、上下に振り、しばらく感覚を確かめていた。
 ハテナは、上半身を起こし、隣で眠るMZDを見た。ハテナに背を向け、丸くなって寝息を立てている。サングラスをとった寝顔は、どこか幼い。オプションはベッドの上にいない。MZDの足元でただの影になり、平面の体を床にうつ伏している。月光差し込む窓枠には、MZDのサングラスが畳んで置かれていた。


 ( かみさまー…… )


 MZDの頬を黒い手のひらが、ぺたぺたと叩く。しかし、MZDはむずがって、毛布に顔を埋めてしまう。くぐもった寝息が聞こえてくる。神は、完全に夢の中だった。ベッドから抜け出て、ハテナは部屋を浮遊した。宙に逆さまになって、ハテナは考える。
 どうして、朝じゃないのに、おきちゃったんだろう。まだ、ねむるじかん。でも、ねむくない。どうしよう? 何をしよう? かみさまは、ねむってる。オプションも、ねむってる。ぼくは、ねむたくない。どうしよう? 何をしよう?
 ハテナは、寝室から廊下にでた。隣の部屋は、シグマの部屋。扉を開けようと、ドアノブを両手でつかむ。ひねろうとして、ふと思い出す。女性の部屋に入るときは、まずノックをするんだぞ。シグマの威厳に満ちた声。ドアノブから手を離し、ハテナは扉を、手のひらで数度叩いた。しかし、返事はない。シグマの名を呼びながら、また叩く。されど、返事はない。ハテナはあきらめて、階段を降り、一階へ行った。


 明かりが点いてない廊下。留守電ボタンが押された電話機が、奥のほうで、数字のボタンを光らせている。暗がりになにかが潜んでいそう。ハテナは速度をあげて、リビングに入った。真っ暗。手探りでスイッチを探し、点ける。点滅してから、白色の蛍光灯がともった。明るくなったリビング。しかし、そこには深夜間独特の静けさが、ただよっていた。
 ハテナは、リビングの隅にあるテレビに向かって、飛んでいった。しかしそのテレビは、台に置かれているのでなく、何者かに抱え込まれていた。毒々しい紅の肌をした、亜人間だった。手足と首が枯れ木のごとく細く、顔のパーツはバラバラに配置され、まるでピカソを彷彿させる造形。頭頂部から生えている口には、真珠の粒のような歯がそろっている。左耳の位置に、真っ黄色の鼻がついている。右目に極彩色の花弁が開いている。左目は無い。耳も無い。異様な存在感をかもし出す、家電と亜人間だった。


 ( ほしのひと、起きてる? )


 ハテナが不思議な物体の名を呼んだ。しかし、応答がない。そもそも、起きているか以前に、生きているのかも不明。
 ハテナは、テレビのスイッチを押してみる。コンセントは外れたままだけど、なぜだかついた。電源の音のあと、テレビに映ったのは、ニュースでもバラエティでもなく、赤い空間だった。朱色の気泡が沸き立つ様子を背景に、赤い幽霊のようなものが映っていた。右目はがらんどうで、左目は金色に鈍く光る。普段は、不気味に体をくねらせているが、今は、首を90度に右に曲げ、だらりと腕が前に垂れ下がってる。そして、目を開けたまま、鼻ちょうちんを膨らませていた。テレビの中の人も、夢心地であった。
 ハテナは、あまり音を立てないように、テレビのスイッチを消した。と、頭上に、なにか液体がしたたり落ちた。ひゃっ、と悲鳴をあげ、ハテナは上を向く。星のひとの、頭の上の口から、よだれが盛大にあふれていた。テレビを持っている人も、夢心地らしい。


 ハテナは、頭についた唾液を、手でふきとりながら、ためいきをついた。
 だれも、あそんでくれる人がいない。どうしよう? 何をしよう? 何もすることがない。ねむくないから、ねたくない。よるは、すごく、しずかだ。まるで、せかいにぼくしか、いないみたいだ。ひとりだ。
 ハテナは、寂しさに身を震わせる。腕を交差させ、肩を抱き、自身を抱きしめるような姿になる。おもむろに窓を見る。まっくらな夜の向こうに、豆電球のような満月が光っていた。ハテナは、窓に向かって飛び、鍵を開いて、窓ガラスを、横にスライドさせる。夜気が、家の中に入り込む。肺腑に霜が降りるような温度だった。秋といえど、夜の気温は、冬のそれに着実に近づいていた。
 ハテナは、体を浮かせて、窓から外にでた。月に、呼ばれたような気がした。


 住宅街は、静寂だった。マンションや一軒家には、ところどころ電気がついているが、暖炉の残り火のような小規模な明るさ。等間隔に配置された街頭も、蛍の光より弱弱しい。時折、点滅を繰り返し、事切れそうな電灯もある。車も人も極端に少ない。ハテナは、電信柱のてっぺんと、同じくらいの高さから、街を見下ろしていた。昼とはまるで別世界。生命も、明かりも、音も、その存在が、極端に希薄になる時間。街は、完全なる深夜だった。
 ハテナは、電線の真ん中に腰掛けた。下半身を、ぶらぶらさせながら、ハテナは夜空を見上げる。満月だった。その周りを、画鋲の穴のように小さな星星が、散り散りに瞬いている。雲は無い。晴れた夜空だった。
 そういえば、よるって鳥がいない。ハトもカラスもスズメも、みんなどこで、ねむっているのかな。みんな、おうちがあるのかな。唐突に、ハテナは、ベッドのぬくもりと、毛布の匂いを思い出した。帰りたくなった。そのときだった。


 にゃー。


 下方から、鳴き声。ハテナが下を見ると、猫がいた。尾の長い黒猫が、ハテナに向かって鳴いている。ハテナは、思わず嬉しくなった。深夜の街で、初めてであった生き物。電線から降りて、ハテナは猫の正面まで落下した。アスファルトすれすれで、静止し、猫のひたいに触る。柔らかな毛質だった。


 ( ねこー )
 にゃー。
 ( ねこー )
 にゃー。


 呼べば、返事をかえしてくれる。まるで、言葉を理解しているかのよう。しばらく撫でていると、猫が自ら、ハテナのもとに近寄ってきた。お腹のあたりに、顔を擦りよせる。ハテナは、くすぐったくて、つい笑ってしまう。妙になつっこい猫だった。
 ハテナは、猫を良く見てみた。ひげが長く、全身真っ黒。太りすぎても、痩せすぎてもいない。オスメスの見分け方を、ハテナは知らないので、どっちか分からない。
 猫には、目がある。しかし、不思議な目だった。猫の目は、元来、光を反射するような構造になっているが、この猫の目は、遮光カーテンのように光を通さない。光無き、黒の瞳。よほど近くから見ないと、猫に目があるなんて、気づけないくらいだ。喉を鳴らす猫に、ハテナが話しかけた。


 ( ねこは、ねないの? 今は、よるだよ。 )
 にゃあう。
 ( ねむくないんだ。じゃあ、ぼくと同じだね。 )
 にゃ。
 ( ねえ。ねこは、どこでねむっているの? おうちは、あるの? )
 なー。
 ( そっか、無いんだ。あのさ、ねこは、ひとりぼっちなの? ぼく、ひとりでさみしいんだ。だから、いっしょに……、 )


 刹那、背後から足音が聞こえた。アスファルト上の小石と砂の群れを、靴底でこするような音。ハテナは、振り返った。黒猫が、一際高く鳴いた。
 点滅を繰り返す電灯を背にして、少年が立っていた。カラスの濡れ羽のごとく黒い髪は、耳と首元にかかる程度の長さ。前髪が長くて、瞳が見えない。蒼白の肌は、月光に照らされ、さらに青みを際立たせている。両胸にポケットのついた白いシャツ。黒いズボン。年齢は、中学生か高校生か、判別がつきにくい。背は高すぎず低すぎず、標準的な体系であった。どこにでもいそうな少年だった。しかし少年は、どこにも存在しないようでもあった。超然たる空気を身にまとい、少年は夜の街に立っている。
 そして、少年は、笑っていた。朗笑、冷笑、苦笑、嘲笑、全てを含んだ笑みのようでもあり、それらのどれでもないような笑みだった。三日月のように口の端を引いて、少年は言った。


 「猫。その子は、僕じゃないよ」


 言うが否や、猫がハテナの元を離れ、少年の足元へと駆けていった。ハテナは、自分の懐から去った猫の背に、思わず手を伸ばす。けれど、その手を止めた。手が届く前に、黒猫は、少年の腕に抱きかかえられた。少年の腕の中で、猫が笑っていた。少年と同じ、三日月の笑み。猫らしかぬ、人間味を帯びた笑み。少年が言った。今度は、ハテナに向かって、


 「君、名前はなんて言うの?」


 と、臆する様子も無く、少年は質問した。



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2008/11/01 Akire




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