MZDは川沿いの遊歩道を歩いていた。都心から離れた静かな住宅地を、川は蛇行している。岸辺には、頭をもたげた枯れススキの波。二羽の鴨が、雑草をかきわけ水からあがる。風は冷たくなりつつあるが、昼下がりの陽気がそれを中和していた。お日様の温もりが、ジャケット越しの背中に伝わる。
 ポケットに手をつっこんで、MZDは周囲の音に、耳をすましていた。水の流るる音と、風がすすきを揺らす音。葉のさざめき。アスファルトを叩く、自分の靴音。遠くを走る自動車の音。鴨の鳴き声。カラスの羽ばたき。空を走る電線から、ムクドリの群れのコーラス。そのほかにも、MZDは多くの音を聞き分け、それらを楽しんでいた。永遠の少年は、世界各地のアーティスト達が作った至高の音楽はもちろん、日常に転がっている無造作な音の群れも大好きだった。


 ( かみさまー )


 声が聞こえた。クリアに聞こえる囁き声。少年の声にも、少女の声にも聞こえる声。ノイズが凝り固まった音にも、シンセの高音域にも聞こえる音声。秋が訪れつつある市街に、不可思議 の音色が混じる。MZDが後方を振り返る。ハテナが、MZDの後に続いて、遊歩道の上を飛んできた。黒くうねる体と、蛍火色に発光する輪郭。笑みを浮かべる口元。足は無い。指は長くて細い。しかし、10本の指は握りこまれ、拳の形を作っていた。
 ハテナは、音楽神の正面で停止し、両の拳を上向きに突き出した。神の顔の前で、拳を開いてハテナは言った。


 ( ひろった )


 黒い手のひらの上に、木の実が四つ乗っかっていた。光沢を放つ褐色の木の実は、細身のもの、丸っこいもの、帽子をかぶったもの、殻が割れているもの、様々であった。MZDが黒い手のひらから、木の実を一つ、親指と人差し指でつまみとると、ハテナが尋ねた。


 ( これなに? )
 「どんぐりだよ」
 ( どんぐり? )
 「木の実の一種さ。春になれば芽が出て、月日が経てば大きな木になる。栄養満点で、動物や虫たちの大好物なんだ。それから、どんぐりを使って、おもちゃを作ることもできるし……」


 説明を聞き終わらないうちに、ハテナは手の上に残った、三つのどんぐりを口の中に放り込んだ。MZDが「あ」と言うのと、ハテナが口を閉じたのは、ほぼ同時であった。どんぐりを飴玉のように口の中で転がし、思いっきり噛む。が、三回ほど顎を動かしてから、ハテナは小難しい顔で一言。


 ( かたい )
 「まあ、そうだろな。おまえ、歯ぁ無いし。どんぐりの殻は、トンカチとかペンチとか、道具を使わないと割れないぜ。リスとかネズミとかは、自分の歯で、どんぐりの殻を割れるんだけどな」
 ( いいな。ぼくも “は” がほしい )
 「そうだな、いずれ生えてくるかもな。おまえが、望むのなら」


 微笑する創造神。サングラスの奥には、万物を慈しむ眼差し。ハテナは、口の中のどんぐりを、手の上に吐き出した。MZDは持っていたどんぐりを、ハテナの手の上に戻してから、土に埋めてやんな、と言った。春になったら芽を出すかもしれない、とも付け加えた。ハテナはその通りにした。街路樹のとなりに、両手で穴を掘り、四つどんぐりを埋めて、土をかぶせた。掘り返された、湿った土の匂いが、あたりに立ちこめる。
 ハテナは再び飛んだ。首を右から左へ回して、何かを探している。ハテナが何かを見つければ、拾ったり、指を差して、MZDにたずねる。MZDはそれらについて教える。散歩中にしばしば行われる、ゲームのようなものであった。
 無の世界から解き放たれたハテナは、有のものに対しての知識が、極端に欠けている。有の世界に来てからというもの、ハテナは好奇心の赴くままに、何かを知るという行為に、夢中になっていた。


 突如、ハテナが急降下する。水面ぎりぎりを平行に飛ぶ。そして、両手を水中に突っ込んだ。飛沫をはねあげ、飛びあがると、ハテナは、MZDの目前までやってきて、持っているものを見せた。黒色の魚が、ハテナの手につかまれ跳ねていた。


 ( かみさま。また、ひろった。 )
 「――えっとな、生き物を拾うことは、捕まえる、って言うんだぞ」
 ( つかまえる )
 「 そうそう。それは、フナって魚だよ。川や湖に住んでいるんだ 」
 ( これも、さかな。 ぼく、うみでたくさん見たことあるよ。さかな。 )
 「そうか、もう見たことあったのか。海、楽しかったか?」
 ( うん )
 「良かったじゃないか。今度は皆で行こうな」


 頭を撫でられ、ハテナはくすぐったそうな顔をした。激しく跳ねていたフナは、だんだんその勢いが失われ、力なく尾を振る程度になっていた。ハテナは尋ねた。


 ( かみさま、さかなって食べれるんだよね? )
 「ああ、食える食える。けっこう美味いぞ」
 ( これ、今日のごはんにしようよ )
 「それもいいな。あーでも、シグマが、今日はハンバーグにするって言ってたから、魚はまた今度にしような」
 ( うん、わかった。けれど、かみさま。このさかなは、どうすればいいの? なんだか、あまりうごかなくなってきたよ。 )


 ハテナが魚を差し出す。すると、MZDは、川に帰してやんな、と言った。水に入れば、また元気になるから、と付け加えた。ハテナはその通りにした。川の上まで来て、おとなしくなっていたフナを放った。水に戻った途端、フナはすばやく波間を裂くように、泳いで行ってしまった。
 MZDが踵を返し、歩を進めようとすると、背後で再び水音がした。振り返ると、ハテナがまた何かを持って、飛んできた。


 ( かみさまー。また、つかまえた。 )


 MZDの正面で止まり、ハテナは捕まえたものを差し出した。


 ( ねえ。これも、さかな? )


 期待のこもった声で、ハテナは尋ねる。MZDは、ハテナの捕まえたものを見て、沈黙。創造神は、すぐに返答できなかった。
 ハテナの手には、透明なペットボトルがつかまれていた。ラベルが塗れた、無色透明のペットボトル。キャップは無い。ハテナが飲み口を下向きにして持っているため、中の液体がこぼれて、アスファルトに染みを作る。元から入っていた飲み物だったのか、それとも川の水なのか、判別がつかない。ただ、流れ出る水は、少し苔くさかった。
 MZDは解答に迷っていた。眉根にしわを寄せたまま、やがて口を開いた。


 「違う、これは魚じゃない」
 ( ちがうの? でも、むこうから、およいできたんだよ )
 「いや、それは生き物じゃないから、泳ぐ事はしない。たぶん、上の方から、流れてきたんだろう」


 そういって、MZDは上流の方を指差す。つられて、ハテナも川を見る。川のせせらぎは、依然変わりなく、水を下へ下へと運んでいる。水の下の、魚の背が、時折光る。波間を鴨が横切る。風が吹いた。陽光で温まった背中に、一足早い北風が息吹き、通り過ぎる。
 ハテナは、まじまじと、手の中の細長い筒状のものを見つめた。下から眺めてみたり、振ってみたり、飲み口をのぞいてみたり。再び、問いかける。


 ( それじゃあ。これは、なに? )
 「ペットボトルっていうんだ。人間が作った道具だよ。中に飲み物を入れて、持ち歩くことができるんだ。ハテナの好きな、ジュースとかミルクも入れられるんだよ」
 ( ほんと? でもこれ、じゅーす、はいってないよ。みずだよ。 )
 「ああ。中身は、もう飲まれちゃったんだろうな。からっぽになって、ごみになったから、川に捨てられたんだろうな」
 ( ごみって、なに? )
 「いらなくなったもののことさ。もう使わない、不必要なもののことをいうのさ」


 ハテナの手から、ペットボトルを受け取るMZD。円柱型のプラスチック容器は、天地創造の神の手の中で、ただ黙している。MZDは、小さくため息をついた。うつむいているせいで、目が帽子のつばに隠れている。独白のように、言った。


 「俺は、この世界に、“いらないもの”なんか、ただの一つも創らなかったんだけどな。どうして、人が作ったものからは、“いらないもの”が生まれてくるんだろうな」


 憂うような口調であった。MZDの問いに、答えるものはなかった。神の呟きは、白雲たなびく蒼天に吸いこまれる。
 ハテナは、ペットボトルを指差して、言った。


 ( かみさま、それどうすればいいの? )
 「ん?」
 ( どんぐりは、土のなか、さかなは、川のなかに、かえしたよ。ぺっとぼとるは、どこにかえせばいいの? また川のなかに、かえすの? )
 「いや、それはちょっとね。川の中は、まずいって」
 ( どうして? )
 「えーっとだな、川はごみを捨てるところじゃないってのが、人間たちのルールでな。ごみはゴミ箱に捨てるってことになってるんだよ。ほら、あれだ」


 そういって、今度はMZDが指差した。10歩先の自動販売機のとなりに、プラスチック製の赤いゴミ箱が設置されていた。あれに入れてくるんだぞ、とMZDはペットボトルを、ハテナに手渡した。うん、とハテナがうなづく。ペットボトルを抱えて、ハテナは飛行する。ゴミ箱の前まで来て、ハテナがMZDの方を振り向いた。無邪気の声で、尋ねた。


 ( かみさま、ぺっとぼとるを、ごみばこに入れたら、どうなるの? はるになったら、どんぐりみたいに、“め”が生えるの?  )
 「え、いや。さすがに、生えないんじゃないか?」
 ( じゃあ、げんきになるの? 川にかえった、さかなみたいに。 )
 「いや、生き物じゃないから、元気にはならないんじゃないか?」
 ( それじゃあ、どうしてごみばこに入れるの? )


 言葉につまるMZD。容赦ない無垢の問いに、答えを見出せずにいた。MZDは、数秒悩んだ。本来、この世にごみなんてものはないはずなんだ。誰かが、いらないと思った瞬間に、ごみが生まれてしまうんだ。自分の思いを伝えるべきか、有の世界の常識を教えるべきか、神の意思は、それらの狭間でゆれていた。ほどなくして、MZDは結論を出した。世界のルールについて教えることを優先した。


 「いいか、ハテナ。ゴミ箱は、いらないものを入れる箱なんだ。モノは、いらなくなった瞬間に、置く場所に困るんだ。道端や、川や、家の中に放って置いたら、誰かが迷惑する。だから、ごみにはごみのための居場所を、人が作ったんだよ」


 言っているうちに、胸の奥に息苦しさを感じた。こんなことを、ハテナに教えていいんだろうか、そんな迷いさえ胸裏に生まれた。ハテナは、MZDの説明を最後まで聞き、再びゴミ箱に目線を向けた。おもむろに、ハテナはゴミ箱を抱えて、よろめくように川の上まで飛び、


 ゴミ箱を逆さにして、中身を全て、川にぶちまけた。


 MZDは、「あ」の一語も発音する隙は無かった。口をぱかりと開けたまま、空き缶やペットボトルが、 飛沫を上げて、着水していくのを呆然と見ていた。空っぽの缶とボトルが、浮き沈みしながら、川下に流れたり、岸辺に引っかかったりしている。鴨たちが、ごみが川に落ちていく音に驚いて、次々に飛び立った。MZDがわれに返ったのは、ハテナが、からになったゴミ箱を横に放り捨て、道路に落ちる音が、聞こえてからだった。
 緑色のフェンスを指でつかみ、流れてゆくごみを、目で追った。川の上で浮遊するハテナに向かって、大声を出した。


 「おい、ハテナ! 一体、何をやってるんだ!」


 フェンス越しに言うと、背を向けていたハテナが、ゆっくりと、こちらを振り向いた。
 左目が、咲いていた。
 極彩色の花弁開く瞳に、一寸気おされ、神が言葉を失う。ハテナが、言った。


 ( かみさまのばか )


 口調こそ、平常どおりの調子であった。が、音量が違った。いつもは、囁くような声なのに、今回ばかりは、鼓膜を内側から、破裂させるような音量であった。おもわず、MZDが耳をふさいだ。しかし、声はしっかりと伝わってきた。


 ( どうして、いらない、って言うの? だれが、いらない、って決めたの? いらないって、よばれるのは、すごくイヤだよ。みんな、まぎれもなく「ある」のに、「なくてもいい」って、言われてるんだよ。そんな ことば を言われて、いったい、だれがよろこぶというの? ごみなんて言われて、せまいハコの中に入れられるより、川をおよぐほうが、ずっとたのしいはずだよ。 )


 概念が、意思が、感情が、直接体に流しこまれるような心地。全身の細胞を諭されるような心地。ああ、おまえの言うとおりだ。耳をふさいだまま、つぐんだ口の中で、MZDが返答した。全てのありとあらゆるものは、然るべくして、そこに存在するんだ。誰も、その存在を否定していいはずがないんだ。それは、人も、動物も、鳥も、虫も、植物も、物質も、無機物・有機物関係なく、この世に存在する全てのものに、等しく言えることなんだ。
 耳から手を離し、MZDは肺腑のすみずみまで染み渡るよう、息を吸いこんだ。もう、胸の内をとりまく暗雲や、霧は、一切無い。迷いも悩みも無い。両頬を、挟むように手のひらで叩いて、MZDは、フェンスを駆け上がり、川に飛び降りた。スニーカーが、水面を踏み、派手な水音を立てて、水滴が飛び散る。しかし、MZDは沈むことなく、水面の上を両の足で立っていた。頭上のハテナに向かって言った。


 「ハテナ、流れていった空き缶やペットボトルを拾いに行くぞ! それで、楽器を作るんだ! 笛を作ろう、太鼓を作ろう、マラカスを作ろう、カリンバを作ろう! 役目を終えた道具たちは、俺たちが大好きな音楽を生み出す、楽器に転生するんだ!!」


 波を蹴散らしながら、MZDが水面をかけてゆく。その後ろを、ハテナがついていく。左目の花は、すでに消えていた。MZDとハテナは、日が沈みきって、星が見え始めるまで、楽器の材料探しを続けていた。
 帰宅後、MZDとハテナは、大量の空き缶と、ペットボトルを使って、工作を始めた。次々と出来上がる、リサイクル楽器を見て、デミグラソースを仕込み中のシグマは、「この音楽馬鹿が」呆れ口調で言ったという。それに対抗して、MZDが「うるせー、数学馬鹿」と言い返し、大喧嘩が勃発しかけたことは、言うまでも無い。


お題 → 1.拾ってみる

 実は一年くらい前から考えていた構想でした。世間知らずのハテナは、水の中にあるものをみんな魚と思ってるかもなー、と思いつき執筆していたのですが、いつのまにやら、環境問題を取り入れた壮大(?)なテーマの話になってました。
 補足ですが、当家のMZDは、人間が創造したものを、造り変えることはできません。一年前の構想では、ペットボトルを、本当に魚に変えて、川に帰すというオチだったんですが、なんだか何でもアリな感じになってしまうので、没にしました。ゆえに、神様手ずから楽器を作ることになったというわけで、人間世界だけでなく、神様にもルールがないと面白くないかな、と思ったのです。





2008/10/05 Akire



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