雨が、やまない。 先ほど手に入れたばかりの 《 かさ 》 を差しながら、わたしは暗い森を歩いていた。周囲には濃緑色の広葉樹が茂り、物言わずひたすら雨に打たれている。 わたしは、赤い 《 かさ 》 を肩にかけ、くるくる回しながら、歩いている。長雨のせいで、靴が濡れてしまったが、不快ではなかった。水の音も感触も温度も、すべてが心地よい。それに、夢の中だから、風邪を引く心配もなく、ずっとここにいられる。 わたしは、森の中の道路を歩いている。道路脇の排水溝から、水が流れる音がする。歩行者も自動車もいない。雨の下、わたしと 《 かさ 》 だけがいる。 赤い靴で、コンクリートの水溜まりを踏む。雨水が、靴に染みこみ、湿った音を立てる。靴が水滴を散らす様子も、水溜りに、現れては消える波紋も、見ていて飽きない。 わたしは、自分のつま先を見つめながら、歩いていた。 すると、赤い靴が、水溜りを踏んだ。真っ赤な水溜りだった。 わたしは、顔をあげた。 周囲に、赤いカラーコーンが並んでいた。 目の前に、濃茶色の髪の青年が、うつ伏せに寝転がっていた。 両腕両足を投げ出し、顔は向こう側を向いていて、こちらからでは表情が分からない。 青年の着衣はやや乱れていて、冴えない灰色のトレーナーから、白いシャツの裾がはみ出ていた。 青年は、赤い水溜りの上に、倒れていた。 血溜まりの上で、転がっていた。 「――死体だ」 雨音に、わたしの声が、溶け込んだ。 なぜかわたしは、目の前のものが死体だと、すぐ分かった。脈どころか呼吸さえ、確認しなかったにも関わらずだ。 青年の腐食した肌は、緑色に染まり、すでに生気は皆無。映画やゲームに出てくる、ゾンビのような肌だった。いつ死んだのかは、分からない。肌の状態を見ると、つい最近ではなさそうだ。でも、血の赤はひどく鮮やかで、いま噴出したばかりにも見える。 しかし、外傷が見当たらない。もしかしたら、うつ伏せている腹部に傷があるのかもしれない。けれど、わざわざ死体をひっくり返してまで、傷跡を見るつもりはなかった。彼に、触ってはいけないような気がした。赤い血溜まりが、まるで結界のように、わたしの体を縛りつけていた。 わたしは 《 かさ 》 を畳み、死体に一歩近づいた。髪や服が雨に打たれ、水分を吸い込んで、肌に張りついていく。雨の匂いのなかに、腐臭と血の臭いが混じっていることに、今更ながら気づいた。 なぜここに死体があるのか。どうやって死んだのか。いつ死んだのか。いろいろな憶測が、短い間に、頭の中を駆け巡ったが、すべて打ち消した。意味など無いんだ。ここは所詮、夢の中だから。 夢の中にいるモノたちも、夢の中にある場所も、夢の中でのわたしの行動にも、ぜんぶ意味なんかない。 だから、わたしがこれから行うことも、当然、無意味なんだ。 スカートのポケットから取り出したのは、缶ジュースだった。この森の入り口にあった自動販売機で、買ったものだった。 おもむろにプルタブを引くと、空気がするどく噴き出る音がした。飲み口を開けたアルミ缶を、わたしは、死体のそばに置いた。お供えのつもりだった。 直後、青年の死体が、淡く発光した。 その光に触れると、頭の中に、 《 しんごう 》 というフレーズが流れ込んできた。
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