前へ2歩。
 行き止まり。
 左へ3歩。
 行き止まり。
 左へ5歩。
 右へ3歩。
 左へ――。


 見えない壁に、手をつけながら、わたしは暗室の中を歩いていた。否、正確には暗室ではない。部屋の中には、ときおり閃光が走る。テレビのノイズにそっくりな、不可思議な閃光。その光とともにに発生する音も、ノイズそっくりだった。あまりにも雑音が頻繁に繰り返されるので、その度に、脳髄が音を立てて焦げつくような錯覚にとらわれる。
 しかし、もう慣れた。ずっとこの部屋にいると、あれほど気に障った光も音も、だんだん気にならなくなる。それほど長い時間、わたしは暗室を彷徨っていた。広い部屋ではないが、見えない壁が邪魔をして、すぐそこにあるはずの白いハシゴに、いつまでもたどり着けない。


  《 じてんしゃ 》 で、狭い部屋を乗り回し、これまで二通りのルートを見つけることができた。しかし、二度とも、見えない壁に立ちふさがれた。やっと、ハシゴの前まで到達したのに、あと一歩二歩の距離が、どうしても進めない。
 正直、うんざりしていた。腹いせに、 《 じてんしゃ 》 のベルを連打してみたりもしたが、ノイズとベルの不快なデュエットが奏でられるだけで、何の意味もなかった。


 わたしは、 《 じてんしゃ 》 を降りた。そして壁に手をつき、歩数を数えながら、地道にルートを探すことにした。一歩づつ進む度に、左右の壁にも手を触れて、別ルートがないかを確認する。
 わたしは、自分の靴先を見つめながら、歩いた。白いハシゴを、極力見ないように努めた。あれを見てると、次第に焦れてきて、はやる気持ちが抑えられなくなるからだ。
 1、2、と数を呟きながら、わたしは暗室を歩いていった。幾度か引き返している内に、どの道とどの道が繋がっているか、どこら辺が分岐点なのかが、把握できるようになった。わたしは、じっくりと時間をかけて探索した。


 そして、ようやく、わたしは正しい道を見つけた。部屋の中を、大きく外回りして、ついにハシゴの前に立ったのだ。
 万歳や小躍りどころか、笑うこともしなかったが、わたしは確かな喜びを感じていた。感情がめったに顔に出ないわたしだが、胸は高鳴り、ハシゴを握る手も、わずかに震えていたのだ。ハシゴに足をかけ、のぼっていくと、楽しげな音楽が耳に入ってきた。






 地上にでると、森の中だった。鬱蒼とした暗い森ではなく、風が心地よい、陽のあたる森だった。ハシゴの先は、広い草地になっていて、浅緑の木々に囲まれていた。
 どことなく色あせているその場所は、色も形も聞こえてくる音楽も、まるでテレビゲームの画面やBGMに似ていた。もしかしたらわたしの姿も、2Dゲームに順じた姿になっているかもしれない。確かめる術はないけれど。
 唐突に、わたしは、自分の部屋に置きっぱなしになっている、ゲーム機の存在を思い出した。夢から醒めたら、久々にNASUで遊んでみようかな。わたしは、再び 《 じてんしゃ 》 に乗り、耳に染み付いてしまったNASUのBGMを口ずさんでいた。


 少し進むと、目前に小さな家が現れた。カーキ色の壁に、赤茶色の屋根。わたしは、 《 じてんしゃ 》 に乗ったまま、家の中に入った。
 音楽の音量がことさらに大きくなった。どこから鳴っているのかは、まったく分からない。家の中には、家具は一切なく、赤いカーペットと観葉植物しかない。あとは、降り階段がひとつ。わたしは、 《 じてんしゃ 》 のまま、階段を降りていった。






 階段を降りると、部屋の温度が変わった。なんだか怪しげな雰囲気。わたしの進む先には、ドアが二つあった。右のドアに入ると、また二つのドアがあり、部屋を抜けると、必ずといっていいほど、複数のドア、または、複数の階段があった。
 一本道は、ほとんどなく、たいていなにがしかの分岐ルートがあった。道中には、鉢に入った観葉植物や、銀色のロッカーがあり、一つ目の黒い人や、悲しげな顔をした白い軟体動物らしきものがいた。
 何かに出会うたびに 《 ねこ 》 になって招いてみたり、 《 しんごう 》 になって動きを止めてみたりした。最後は 《 ほうちょう 》 で刺した。そして、その場を後にした。


 わたしは 《 じてんしゃ 》 を漕ぎながら、初めて 《 ほうちょう 》 を使ったときのことを思い出していた。
 相手の体に、凶器を突きたてたとき、その鈍い感触や、甲高い叫び声や、生温かい血しぶきに、不快感や罪悪感、自己嫌悪など、後味の悪い感情に苛まれずにはいられなかった。
 しかし、今となっては、そんなものとっくに麻痺していた。 《 ほうちょう 》 は所詮道具だし、ここは夢の中だ。道徳も法律もないし、刺殺した相手も、少し時間が経てば復活していた。その度に、さすが夢の中、何でもありなんだな、と思った。


 分かれ道の多い地下室の中で、わたしは、進路を一つに絞ることにした。下へ下へ、とにかく最深部に向かうことにした。他の道には目もくれず、ただひたすら地下深くへ。そして、帰り道に、回りきれなかったところを探索すればいい。
 わたしは、ひたすら 《 じてんしゃ 》 を漕いだ。小さい家にも関わらず、地下室は広く、階段が多く、アップダウンの激しい道のりだった。しかし、わたしは疲れを感じなかった。夢の中だからだろうか。ずいぶん体が軽い。そのせいか、起床後の気だるさや、疲労感は半端ないのだが。
 寝たのに、疲れがとれない。だから、また寝る。起きてみると、やっぱり疲れている。ここ最近、それの繰り返しだった。
 しかし、わたしがひたすら寝続けているのは、疲労のせいだけじゃないように思う。最近つけはじめた『ゆめにっき』や、ドアの奥の不思議な世界や、夢の中で出会う人たちや、とにかく夢の中は、現実世界よりも、魅力的であるゆえなのだ。


 階段を降りていくと、変なものを見つけた。キノコ、らしきものが四つ。そして、ロッカーのとなりに扉が一つ。おそらく、あれが最深部。
 わたしは、なんとなく 《 じてんしゃ 》 から降り、扉に向かって歩いた。しかし、行く手は四つのキノコに遮られている。 《 ほうちょう 》 で蹴散らしてしまおうか、そう考えているうちに、キノコが動いた。ややびっくりした。てっきり動かないものだと思ってた。四匹(?)のキノコは、四方に散り、扉への道が開けた。
 わたしは、のろのろと動くキノコを無視し、真っ直ぐ扉へ向かった。そして中へ入った。






 暖かい部屋だった。なぜそう感じたかは、分からない。
 室内には、先ほど見かけたキノコが二つと、ピラミッドに似た三角錐のシンボルが四つあった。


 そして、部屋の中央には、鬼がいた。


 こちらに背を向けて立つ鬼は、わたしと身長が同じくらいだった。
 後姿しか見ていないのに、なぜすぐに鬼かと分かったかというと、薄紫の髪の毛から、赤い角が二本生えていたからだ。
 わたしの視線に気づいたのか、鬼がこちらを振り返った。角と同じ色の、肌をしていた。黒目がちな瞳は、やや吊りあがり、紫と黒のボーダーシャツを着ている。
 腕と足はずいぶんと細く、顎が尖っている。男の子かな、と思った。根拠はないけれど、その目つきが、やけに凛々しかったから、そう思ったのかもしれない。


 「あなた、ここに一人で住んでいるの?」


 つい、訊いてしまった。夢の中で、まともに話せる人なんか、いないって分かっているのに。
 わたしが話しかけても、夢の中の彼らは、不思議な音を発したり、数字の羅列を言い並べたり、無視したりするのが普通だった。意味も意思も通じない。それが夢の中。そんなこと、分かってるはずだったのに。
 第一、なんであんなことを訊いちゃったのか、自分でもわからない。ただ、小さな家の、地下深く、最奥部の部屋に、一人きりで住んでいる鬼に、何かを感じずにはいられなかった。何故か、親近感が沸いてしまった。わたしも、自室から出ずに、一人きりで住んでいるから。


 鬼は、わたしのことを、じっと見つめていた。ほら、やっぱり言葉なんて、通じない。最初から、あきらめていたので、それほどショックは受けずにすんだ。わたしは、無表情のまま、鬼を見つめ返していた。わたしも鬼も動かない。キノコ二体が、床の上を這いずり回っている。


 すると、その瞬間、鬼が、足元に寄ってきたキノコを、鷲づかみにした。今まで、ポーカーフェイスを保持していたわたしだったけど、突然の奇行に、目を丸くしてしまった。そして鬼は、もう一方のキノコの元へ歩いてゆき、反対の手で鷲づかみにした。
 キノコを捕獲した彼は、真っ直ぐにわたしのもとへ歩いてきた。正面で止まると、無言のまま、キノコを差し出した。まったく意味が分からない。というか、こういうケースは初めてだった。このキノコをどうしろと言うのだろう。食べていい、とかかな。
 彼は、何も語らず、キノコを手にしたまま、突っ立っている。掴まれているキノコは、じたばたしたり、赤くなったりして、必死に抵抗している。それを見て、不意にわたしは悟った。黒目がちなつり目を見つめて、わたしは言った。


 「一人じゃないのね」


 鬼は、何も言わなかった。ただ、目が優しかった。
 キノコと鬼がどういう関係かは、分からないけど、たぶん仲がいいんだろうな、と思った。ドアの外のキノコも、もしかしたら仲間なのかな。
 鬼は、二体のキノコを解放した。そして、わたしに向き直った。突如、彼の体が、淡く光った。発光する彼の体に触れると、わたしの体に、その熱が伝わったように感じた。頭のなかに、 《 おに 》 というフレーズが流れ込む。新たなエフェクトを、手に入れたようだ。
 エフェクトを獲得したのだから、もうこの部屋に用は無かった。けれど、部屋を出る気になれなかった。彼のそばを離れるのが、名残惜しかった。
 鬼とわたしの間に、沈黙が流れる。わたしは「あの……」と、鬼に話しかけていた。そして、問いかけた。


 「もう少し、ここに居てもいい?」


 また、変な質問しちゃった。夢の中なのだから、許可なんかとらなくてもいいのは、分かってる。分かっているのに。ひどく自分が恥ずかしかった。何やってるんだろう、と自問する。
 と、それまで黙って立っていた鬼が、わたしの両肩に手をかけた。突然のことで、頭が真っ白になる。鬼が、一歩踏み出すと同時に、わたしは反射的に、固く目をとじてしまった。すると、


 おでこに、やわらかい感触がした。そして、ちゅっ、と可愛らしい音が聞こえた。


 しばらくの間、わたしは呆気にとられていた。何をされたんだろう。たっぷり一分間考えて、おでこに残るかすかな温もりと、くすぐったい感触を思い出した。そして、それが、いわゆる、キスだということに、気づくや否や、顔が瞬時に熱くなった。
 思わず、ねじり切らんばかりの強さで、頬をつねった。こんなの夢だ。夢に決まってる。現実なわけがない。そんなの分かってる。でも、今の感触のリアルさと、この激しい動悸は、何なんだ。ほっぺ痛い。涙が出そう。わけわかんない。
 目の前に立つ鬼の顔が、揺れる水面のごとく、ぐにゃりと歪む。鬼だけでなく、キノコも三角錐も、部屋も、視界もすべてが歪む。そして、わたしの意識も、歪み、ぼやけ、揺れていた。






 目が覚めた。寝覚めは最悪で、頭痛がひどかった。わたしは、ベッドから起き上がらず、寝返りを打った。二度寝してしまおう。目蓋を閉じると、ほどなくして、眠気がわたしを包み込んだ。
 一瞬、机の上の『ゆめにっき』の存在を思い出したが、振り払った。ものすごく恥ずかしい思いをしそうだから、今は書く気になれなかった。
 夢の中で、わたしは、ひどく恐ろしい体験や、なつかしい気持ちや、いろいろなものを見て、感じてきた。けれど、あんな不意打ちは初めてだった。あれは、反則だと思う。わたしは、おでこを撫でつつ、枕に顔をうずめる。吐息が布地に染み込んだ。


 目蓋の裏で、最後に見た鬼の顔を、思い描いた。いきなり出てっちゃったから、彼も、びっくりしたかもしれない。謝りにいった方がいいかな。でも、またあの地下室まで、たどり着けるかな。睡魔に食われていく脳の片端で、そんなことを考えた。
 わたしは、先ほど手探りで覚えた、暗室のルートを思い出しながら、眠りについた。



 
 鬼エフェクトの子ってさ、話しかけると、キスみたいな可愛い音を出すんだよね。それがツボで、鬼が大好きになってしまったわけです。鬼かわいいよ鬼。でも、窓付きの ☆おに☆ は、あんまり可愛くないと思う。肌が赤すぎて、すごくびっくりした。
 できることなら、鬼ワープの話も書いてみたかった。FC世界の荒野で出会ったとき、すごく感動したんだよね。「迎えに来てくれた!」って感じで。




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