窓の外には、桜並木がつぼみをほころばせていた。目を凝らせば、すでに開花しているものもある。コンクリートには、陽炎がゆらめく。風はまだまだ冷たいが、街にはすでに春がやってきていた。 ( しぐまー ) 「どうした、ハテナ」 流しで洗い物をするシグマの背に、ハテナがへばりついた。皿を重ねる音と、水音がキッチンに響く。ハテナはシグマの背中をよじのぼり、左肩に顎を乗せ、女神の耳に手を当てた。あのねあのね、と、内緒話をするように言った。 ( みんなには、ひみつにしてたんだけどね。ぼく、ほんとうは、“ろぼっと”なんだよ ) 泡のついたスポンジを持つ手が、動きを止めた。振り返ったシグマは、眉間にしわを寄せている。訝しむ青眼。シグマが「証拠を見せろ」と呟くと、ハテナが浮上し、ほら、と、胸部をロッカーの戸のように開けてみせた。 開かれた胸には、機械がぎっしりつまっていた。エンジン、ネジ、バネ、ボタン、基盤、半導体、様々なパーツが入っていたが、いずれも無秩序であった。機械の中身というよりも、ジャンクパーツが詰め込まれた箱のような状態。シグマは横目で、冷蔵庫に張ってあるカレンダーを見た。そして、大方の事情を察した。 シグマは、目を見開き、(ややわざとらしく)頓狂な声をあげてみせた。 「そうだったのか、ハテナ。お前は、ロボットだったのか」 ( そうなんだ。みんなには、ないしょ だからね。 ) 「わかった、約束しよう。それはさておき、ハテナは紛れもなくロボットなんだな?」 ( うん、ろぼっとだよ ) 「ということは、機械だな?」 ( きかい だよ。 ) 「そうかそうか。貴金属の体では、残念ながら、牛乳かんてんは、食べられないな。三時のおやつに、と作っておいたんだが、仕方ない。リソスに与えに行こう」 ( あー、だめー! おやつ食べるー! ろぼっとじゃないから、食べるー! ) 途端に泣きつくハテナ。音をあげるのが早いぞ、とシグマは胸中でツッこんだ。冷蔵庫から、牛乳かんてんを出し、小皿に盛って手渡すと、ハテナは万歳をして受け取った。スプーンを手渡すついでに、シグマは言った。 「それにしても、ハテナ。嘘をつくなら、もう少しまともな嘘をついたらどうだ?」 ( うーん、でも、しぐまなら、ばれないって、おもったのに ) 「叡智の化身をみくびるな。そんな幼稚な嘘にだまされるわけがなかろう」 ( じゃあ、どんな うそ なら、ばれないの? ) 牛乳かんてんをほおばりながら、ハテナは質問する。シグマは少し思案して、回答した。 「そうだな、嘘と一口に言っても、奥深いぞ。まず、嘘だとばれないためには、嘘に現実味を持たせなければならない。これには高度なレトリックと、演技力が求められる。そして、相手の虚をつくインパクトは必須だな。派手すぎず地味すぎず、スパイスのように真実味を含ませる。そして、種明かしをしたときに、愉快に笑い飛ばせるもの。これが、理想の嘘だ」 と、そのとき、台所の扉が開いた。シグマたちが振り返ると、MZDが立っていた。 「おーい、おまえら。今日の三時に、世界が破滅するからな」 ( えー! ) 「見え透いた嘘をつくな、音楽神」 「さすが女神シグマ。0.5秒でバレちまうと、逆に清清しいな」 「理想とは、ほど遠い、投げやりな嘘をつきおって。それでも神か? 嘆かわしい」 「あー? 嘘は嘘じゃんか。理想もくそもねーだろって。エイプリルフールの嘘も、数式で導き出さないと気がすまないのかー? この数学オタクー」 刹那、激しい火花が、音楽神と知の女神の間で爆ぜた。ハテナは、スプーンを加えながら、机の下に隠れて、様子を伺うかがっている。険悪な空気。決闘にも似た殺気と緊張感が、台所に充溢する。 突如、シグマが、「あ」と間の抜けた声を出した。火花が途切れて、MZDがやや前のめる。何だよいきなり、と問いただすと、シグマが流暢に言った。 「言い忘れていた。アリア・テ・ラリアに、帰らなければならないんだ。向こうの世界に危機が訪れたらしいんでな」 そういって、シグマがエプロンを外し、椅子の背にかけた。MZDもハテナも唖然としている。シグマが目を閉じて念じると、兜と盾と矛が現れた。手早く装着し、シグマは真っ直ぐ玄関へ歩いていく。 「おい、ちょっと待てよ! 聞いてねーぞ、そんな話!」 MZDの静止の声も聞かず、シグマは歩みを進める。すぐさま廊下をかけだすMZDとハテナだったが、シグマはすでに玄関のドアノブに手をかけていた。扉の先には、シグマの愛馬・ユニコーンが待っていた。振り返りざまに、シグマは言った。 「すまないが、もう、ポップンワールドには、戻ることはないだろう。ハテナを頼んだぞ、MZD」 そういって、シグマは出て行った。扉が閉まった後に、ユニコーンの蹄の音が、響いた。 静寂が訪れた。蹄の音は遠ざかり、帰ってくる気配がない。MZDが、床に膝をつく。「嘘だろ……」と呟くが、それに答えるものはいなかった。ハテナも放心していた。左目に、極彩色の花が開いていた。瞳から大粒の涙が零れ落ちる。ハテナは、声も無く、泣いていた。 突然、扉が開いた。光の女神が立っていた。 「身をもって知ったか、愚者どもめ。これが理想の……」 ( しぐま、行っちゃやだー! ) 「うぬぁあっ!?」 女神の言葉をさえぎり、ハテナがシグマの胴に飛び込んだ。勢いよく吹っ飛ぶ女神を見て、音楽神が力なく笑っていた。心臓に悪ぃんだよ、ばーか。そう言ったつもりだったが、呂律が回らなかった。舌の動きがままならないほど、安心しきってしまったようだ。 4月1日。眠りにつくまでの間、ハテナは、シグマの身体にしがみついたまま、離れなかったらしい。 『愚者は誰だ』 2009/04/01
|
彼は苛立たしげに、ダークブラウンの髪を、かき乱していた。 オオワシの爪のように五指を立て、豪快に頭皮を掻いている。唇の内側で、転調がコード進行がと呟きながら、右手のペンで、木のテーブルに音符の羅列書いている。不思議なことに、彼の蓬髪の中からは、頭を掻く度に、何枚もの五線譜が、ふけのごとく舞い飛び、床に落ちていく。 おれはココアのおかわりを注ぎながら、何で紙を持っているのに、机に書くんだろうと思った。 彼は、ああでもない、こうでもない、と頭を悩ませながら、旋律の走り書きを、書いたそばから、ぐしゃぐしゃに塗りつぶしていく。あとで、机のインクを消さなきゃいけないおれとしては、ああいうのは、すごくやめてほしい。まあ、本人の前で言えた試しはないのだけれど。 作曲中の彼は、声をかけるどころか、ココアのおかわりを渡すのも、ためらいたくなるほど、かなり真剣なんだ。 たぶん、黒眼鏡の下の瞳は、血走ってるんじゃないんだろうか。いや、彼の目なんか見た試しはないのだけれど。 床を埋め尽くす楽譜を、数枚手に取り、眺めてみた。 一枚目で、目をみはった。二枚目で、目を疑った。三枚目で、眩暈がした。四枚目以降は、開いた口が塞がらなかった。 おれは、楽譜なんか読めないし、書けもしないけど、正直言ってこれらが楽譜には毛頭見えなかった。 だって彼の楽譜は、紙面を黒く埋め尽くすように音符が密集していたり、五線譜にいくつもの数字や数式が書いてあったり、なぜか絵が描かれていたりした。太陽と花と電話機と窓と女の横顔が、五線譜の上を踊っていた。あとは、わけのわからない幾何学模様が、余白に書き連ねられている。楽譜と落書き帳を取り違えたんじゃないだろうか、そんな心配をしたくなる楽譜だった。 でも、楽譜を見ていて、彼にとって音楽は、こんなものなのだろうなと、納得せざるをえない心境になってしまった。頭痛がする。天才とかいう人種の思考には、到底ついていけないな、とため息をついた。 あんたの頭の中、一度でいいから、のぞいてみたいよ。彼がこちらを振り返った。おれはハッとした。しまった、声に出してしまったようだ。顔面から血の気が引いていく。振るえあがるような想いで、立ち尽くしていたおれに、彼は自分の頭を指差し、ひどくひょうきんな声で言ったのだ。 「俺の頭は、亜空間につながっているんだよ」 真実なんか、おれは知らない。ただ、床に四散した楽譜の群れが、何かを物語っているように、思えてならなかった。 『天才の頭の中』 2008/11/15
|
ウーノは料理が上手だ。 いつもうまいメシを食わせてくれるから、とてもありがたい。 ウーノはいつも、真っ赤なエプロンを使っている。 トマト色というか、ウーノの髪の色というか。 ウーノは二枚エプロンを持っているけど、二枚とも赤いんだ。 あまりに気になったので、オレは、手際よく皿を洗っているウーノに、聞いてみた。 「なんでウーノは、赤いエプロンを使ってるんだ?」 「ん? 突然どうしたのさ、ドゥーム」 「だってオマエ、赤いのしか持ってないじゃんか」 「そういえば、そうだね。んー、やっぱ赤好きだし。あとは……」 「あとは?」 「赤いエプロンのほうが、トマトの調理に都合がいいからかな。 ミートソースとかがはねても、あまり目立たないしね」 ウーノに笑顔で言われて、オレは少し複雑な心境になった。 確か、似たような理由で、都市伝説の殺人サンタは、赤い服を着ていたような気がする。 『ウーノのエプロンが赤いワケ』 2008/10/10
|
「シューゲイザーっていうのは、言いえて妙だな。しかし、おまえのギターは、靴を見るというより、足踏み――、いや違うな、だんだん地団駄に聞こえてくる」 「――そうですか」 「それなりに、好きだぜ。おまえのギター」 「……おれも、あなたのピアノ好きですよ」 「ほお、どの辺が?」 「聞いているうちに、もう後戻りできない感じがしてきます」 「はは、言うじゃないか。おまえも亜空間が見えるのか」 「おれは、ただ、自分の内側を、見つめてるだけです」 『亜空間と自己内世界の話』 2008/9/19
|