12月24日。クリスマスイブ。神の御子イエスの降誕祭と呼ばれる日、その前夜祭。 17:35。冬の夜の訪れは、早いもので、暗くなった空には、すでに星がちらちらと瞬いている。月は細く、チェシャ猫の笑みのよう。しかし、夜空の星屑と三日月は、地上の電飾の輝きに圧倒されるかのごとく、控えめな光をこぼしている。地上の都市部では、色とりどりの電飾が、街路樹や店頭の看板を、輝かせている。町中で、クリスマスソングが奏でられ、人々は、それぞれの大切な人と、聖なる時間を過ごしていた。 無論、それはMZD宅も例外ではない。 リビングの角には、クリスマスツリーが立っていた。電飾や、硝子球や、サンタのマスコット、ミニチュアのプレゼント箱、鈴、雪を模した綿、色とりどりの飾りが、針葉樹をあざやかにしていた。その頂点には、金色の星が輝いている。その昔、イエスの降誕を知らせた星を、モチーフとしているらしい。 ツリーの隣には、テレビの電源が入った星のひとが立っていた。チャンネルはニュース番組にあわされている。ブラウン管のなかで、アナウンサーが、マイクを片手に、クリスマスの街を報道している。女子アナが、人気のケーキ屋の前で、ブッシュ・ド・ノエルの試食をし、顔をほころばせていた。 一方、シグマは、台所で忙しくしていた。ケーキのデコレーション、ビーフシチューの仕込み、オーブンではクッキーが焼かれ、いくつもの作業を同時進行している。シグマは、生クリームの絞り袋を使って、ケーキを縁取っていた。丸いスポンジの側面に、波模様を描いていく。その隣で、ハテナがスポンジの上にイチゴを乗せていた。長い指で、ボールの中のイチゴを、つまんでは乗せ、つまんでは乗せる。どこで覚えたのか、ハテナは、「ジングルベル」を口ずさんでいた。 と、クッキングタイマーが、音を奏でた。その旋律は、電子音の「小さな世界」。ケーキをデコレショーンしていたシグマが、音に気づき、大声をあげた。 「MZD! 最後の分が焼きあがったぞ!」 「オーケー、いま行く」 リビングでクリスマスカードを書いていたMZDが、ペンを置き、腰をあげた。台所に入り、タイマーを消した後、テーブルの上の、鍋つかみを手に取って、利き手に装着する。そして、大型のオーブンを開いた。熱気が顔の皮膚をあぶり、香ばしい匂いがオーブンから開放される。プレートの上には、きれいに並んだ、型抜きクッキーが焼きあがっていた。 クッキーの形は、様々で、星、ハート、ツリー、猫、雪だるま、人型、などがあった。焼く前に、卵黄を塗ってあったので、表面にはツヤが出ている。出来立ての菓子を前に、MZDが思わず笑む。いつものニヒルな笑みでなく、純粋に嬉しがっている様子だ。振り返ってシグマに尋ねた。 「おい、すっげ美味そうだぜ。つまんでもいいか?」 「火傷したければ止めはせんぞ。こっちに冷ましたものがあるから、早く食べたいなら、こちらにしろ」 そういって、シグマはケーキの隣にある、プレート上のクッキーを指差した。そして、引き続きデコレーションを続ける。ケーキのふちをクリームで飾りながら、違和感に気づく。振り返ると、MZDはクッキーに手を伸ばさず、唖然とシグマの顔を見つめていた。 「どうした。食べないのか?」 「いや、てか、ほんとに食べていいわけ? てっきり、ダメって言われるんだとばっかり」 「何故だ。根拠はなんだ?」 「その……、数合わなくなるから、とか?」 「その点はぬかりない。どうせ、お前たちが食べたがるだろうと思って、配る分より多めに計算して焼いてあるからな」 シグマは絞り袋をテーブルに置き、ピンク色のデコレーションペンを手に取った。ケーキの真ん中のスペースに、Merry Christmas のつづりを筆記体で書いていく。緻密な作業に没頭するシグマの背中を見ながら、MZDは口角を持ち上げた。なんだ、案外、優しいじゃんか、シグマって。てっきり怒鳴られると思っていたMZDは、安堵したように、肩の力を抜いた。 MZDは、冷めている方のプレートから、星型のクッキーをつまんだ。口に放り込み、噛む。サクサクした食感と、バターの風味と、ほのかな甘み。できたてだから、中の部分がまだ温かい。かなり美味い。MZDが満足げに笑う。すると、イチゴを乗せ終わったハテナが、シグマのそでを引っ張った。 ( ねえ、しぐま。ぼくも、くっきーたべたい。 ) 「ああ、構わんぞ。ほら、好きなやつをとれ」 シグマが、銀のプレートを片手で持ち上げ、ハテナに差し出した。しかし、ハテナはクッキーを取ろうとしない。ハテナは、あさっての方向を指差した。 ( ぼく、あっちがいい。 ) 指差した先は、リビングであった。リビングのテーブルには、クリスマスカード。ソファには、袋詰めにされたクッキーが山を作っていた。ビニールの袋には、サンタやトナカイのイラストが、プリントされ、カラフルなモールで袋の口はとじられている。ハテナが欲しがっているのは、すでに袋詰めされたクッキーのようだ。 「ハテナ、あれは他の人に、配りに行くものでな……」 シグマが困ったような顔で言う。しかし、その声を、神がさえぎる。 「いや、いいよ。ハテナ、あっちのがいいんだろ?」 MZDが指を鳴らすと、足元のオプションが伸びて、ソファの上のクッキーを一つとった。オプションが、ハテナにクッキーを手渡す。ハテナが、嬉しそうに笑った。MZDが言った。 ( かみさま、ありがと。 ) 「どういたしまして。その代わりに、ハテナに頼みたいことがあるんだが……」 ( なに? ) 「ちょっと手伝って欲しいんだよ」 ( なんの、おてつだいなの? ) クッキーの袋を持ったまま、ハテナが首をかしげる。すると、MZDはにやりと笑い、指揮者のように、腕を振るった。突如、オプションの腕が伸び、肘から何本にも枝分かれする。複数の腕が、空っぽの袋を、モールを、クリスマスカードを、クッキーをつかんだ。目にもとまらぬ速さで、クッキーの袋を瞬時に作っていき、数秒で全ての作業を終える。オプションが、ツリーの根元に置いてあった、赤いものを取り、MZDに手渡す。永遠の少年は、ニヒルな笑みで、いたずらっぽく囁いた。 「サンタごっこ」 MZDは、オプションの渡した、サンタの帽子をかぶった。 「今までのポップンパーティーの参加者に、クリスマスプレゼントを届けに行くんだ。シグマの手作りクッキーと、ポップンパーティーのベストアルバム。あと、俺の直筆のクリスマスカード。とはいえ、参加者の数もバカにならないし、世界各国、宇宙、異次元と、いろんな場所に行かなきゃいけない。さすがに一晩で配りきるのは難しそうだから、ハテナにも協力してほしいんだよ」 MZDが説明する背後で、オプションが、クッキーを、白い布袋に詰め込んでいく。布袋は、すぐに、はちきれんばかりになり、かなりの量がおさまっていた。玄関には、銀の紙袋が置いてあり、CDアルバムが、隙間無く敷き詰められていた。 サンタと聞いて、ハテナの胸が高鳴った。サンタクロースのことは知っている。いくつかの絵本にサンタが出ていたから。ぱんぱんに詰まった袋を背負って、トナカイのそりに乗って、えんとつから家に入って、プレゼントを置きに行く。ハテナは満面の笑みを浮かべた。答えは決まっていた。 ( ぼくも、サンタする。 ) 「よし、決まりだ。頼んだぜ、ハテナ。それから、これやるよ。」 MZDが、もう一つのサンタの帽子を取り出し、ハテナにかぶせてやった。似合ってるぞ、と帽子の上から頭を撫でてやると、ハテナはちょっぴり照れていた。MZDが袋をかつぎあげ、玄関に向かった。エプロン姿のシグマが見送りに行く。オプションがCDの紙袋を二つ、ハテナは紙袋を一つ持って浮いていた。スニーカーを履いているMZDに、シグマが言った。 「全く、つくづく物好きな神だな。わざわざ、自らプレゼントを渡しに行く必要もなかろうに」 「いいじゃんかよ。意外と、病み付きになるぜ、サンタごっこ。お前もどうだ?」 「遠慮しておこう。今晩と、明日の夕食の準備が、まだ終わっていないからな」 「そっか。帰ってきたら、たらふく食うからな、覚悟しておけよ」 「みくびるな。お前らが普段より食べることも、計算に入れてある」 「さすが、素数の女神。じゃ、ちょっくら行ってくるぜ。行くぞ、ハテナ!」 MZDが、袋をかついで、玄関を飛び出した。ハテナとオプションもそれに続く。音楽神は、三歩目で跳躍し、夜空を駆ける。オプションが、神の背後にまわり、神の肩を抱き、流星のように飛び去った。その後ろを、ハテナも高速でついて行った。夜空に、二つの流星が輝いた。 シグマは、MZDたちを見送ったあと、リビングに戻った。ソファの下に隠していた紙袋を、かがんで取り出した。中には、毛糸球と編み棒、それから、編みかけの赤いセーターと、緑色のマフラーが入っていた。セーターはMZDへの、マフラーはハテナへのプレゼントだった。二人がいないのを見計らって、ちょくちょく編んでいたものだ。なんとか今晩中には間にあうだろう。 ソファに腰かけ、編み棒を繰るシグマ。網目に棒をくぐらせながら、完成したプレゼントを、枕元に置くときのことを考える。そして、目が覚めた二人が、プレゼントにどんな反応をするか、想像する。この上なく楽しみだ。なるほど、サンタごっこも、悪くない。 星のひとが持つテレビでは、相変わらず、アナウンサーがクリスマスの街を報道していた。ブラウン管のなかで、街を彩るイルミネーションの彼方に、二つの流星が、一瞬だけ映った。
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